おもひでぽろぽろ/感想〈高畑勲が描くリアルについて〉

ジブリ作品の『おもひでぽろぽろ』を観た。高畑勲が監督をする作品をちゃんと観るのは初めてかもしれない。

観てる途中、自分の中でいろいろ考えが張り巡らされた作品だったので久しぶりに映画ブログを書きたい。

おもひでぽろぽろ』(1991) スタジオジブリ/監督:高畑勲

可愛らしい題名なんだけど全体的な印象としてはどこか重く心がそわそわする作品だった。なんでだろうって考えたけど、たぶんあまりにもリアルが追究されているから。

まず言っておきたいのが、時代性なのか、主人公の家族のあの暗~い雰囲気。姉妹たちのやり取りは明るく三姉妹らしさが出ているが、問題はあのお父さんだ。ザ・現代っ子の私からすればあれは見るに堪えなかった。

作品の中盤あたりで主人公のタエ子をビンタするシーンがある。あそこで観るのをやめてしまおうかと思うぐらいツラいシーンだった。

家族の食事のシーンでも「メシ」と一言だけ発してお母さんにご飯をよそってもらう場面があった。もしかしたら私がその時代の人間だったらすんなり受け入れられたかもしれないが、あまりにもリアルに描かれている「家父長制」にはお手上げだった(笑)

でも私が感じたあの救いようのなさを、後のトシオのセリフが救ってくれた(そして最後まで観れた)

タエ子の苦い思い出話を聞いたトシオはこう言う

「親父っていうのは東京も田舎も同じようなものだったんだな」

 

高畑勲がなぜ厳格な昭和の父親像をはっきりと描いたのか分からないし、私が問題意識を持ったように視聴者に対して問題提議をしたい訳ではないと思うけど、「親から逃れるという自由」みたいなエッセンスを感じ取った。

 

タエ子は自分がビンタされたことに対して「叩かれたことは一回だけ、一度だけだとあの時どうしてって思っちゃう」と言う、

たしかにそうだ。タエ子は大して悪いことをしたわけじゃないと思う。いつものようにワガママ節を発揮させ自分のエナメルのバッグが無いからって家族のお出掛けについていかないと駄々をこねる。年相応で三姉妹の末っ子がする行動と思う。玄関に置いてかれたタエ子は「けどやっぱり行く!」と靴下のまま飛び出した。それを見たお父さんが思わずタエ子をぶつ。お父さんもハッと「やってしまった」という後悔が垣間見える表情になる。

考えても考えてもあのシーンは何だったんだろうと記憶にこびりつく

 

おもひでぽろぽろ』小5のときの話をトシオとナオ子にするタエ子



タエ子がトシオにする思い出話でもう一つ印象深いものがある、

割り算の話だ。

 

「分数の割り算をすんなりできた人は、その後の人生もすんなり行くらしいのよ」

 

最初に台詞を聞いたときにどういうこと?って思ったけど

タエ子は小5のとき算数でひどい点数を取った。分数の割り算のテストでいまいち「分母と分子をひっくり返して掛ければいい」っていうことがしっくり来てなかったらしい。

「2/3のリンゴを1/4で割るってどういうこと?」

 

そんなこと考えなくても「分母と分子をひっくり返して掛ければいい」てことさえ分かっていればすんなり解けるもの。理屈とかいちいち考えなくても公式さえ覚えてれば大体はうまくいくもの。人生というのも小難しく考えるより「公式」にならって効率よく進めば「すんなり行く」ものなんじゃないだろうか。台詞が心を刺す。

 

 

また小5のときの話で生理についての話がある。

保健の授業で女子だけが集められてが生理の話をされ、女子だけの秘密だと決めていたのに「りえちゃん」が一人の男子に話してしまう。

それから男子たちは「生理」というからかいワードを連発するんだけど、ある男の子が

「あ、生理がうつる!」

とドッチボールの授業でりえちゃんに向かって言う。

隣のタエ子は何とも形容しがたい表情で居るんだけれども、りえちゃんは「生理がうつるだって、バカみたい」と笑いながら受け流す。

 

割り算の話でも「りえちゃん」は特段算数が得意だったわけではないが、素直に分母と分子をひっくり返して(27歳にもなるのに結婚していないという)タエ子とは違い二児のママである。

 

おもひでぽろぽろ』(1991)スタジオジブリ/監督:高畑勲

正直この映画は「なんだかなあ」みたいなモーメントが多い。けれども現実という冷然としたものを淡々と映し出しているわけではなく、前向きなメッセージも在る。

 

「青虫はさなぎにならなければ蝶々になれない、

さなぎになんか ちっともなりたいなんて思っていないのに」

 

「あの頃をしきりに思い出すのは、私にさなぎの季節が再び巡ってきたからなのだろうか」

 

 

27歳のタエ子は小学校5年生の11歳だった自分を何回も呼び起こす。

普通青虫は一回しかさなぎになれないし、一回しか蝶々になれない。

けれど人は何度でもさなぎになれるし、そこから蝶になれる。何度でも「羽ばたきなおす」ことができるのだ。

 

いや高畑勲まじ良い事言うやん。てか伝え方が良い。

 

そう理解した後にあのエンドロールと共に映し出される「現在のタエ子」と、思い出というメタファーとして現れる「小5のタエ子」のシーンをもう一度観ると心のそわそわが消えてジーンとくるものがある。

 

 

オムニバス形式っぽい感じでタエ子のエピソードが回想されるこの作品だが、どれも「現在のタエ子」の抱える問題に通じていて、その描写やカットが秀悦なものだった。ストーリーの地味さと時代設定からなのかジブリ作品の中ではあまりファンがいない作品だけど、現代人の私たちでもいろいろ考える要素を多く含まれていた『おもひでぽろぽろ』に私はすっかりファンになってしまった。

 

おもひでぽろぽろ』(1991) スタジオジブリ/監督:高畑勲